イスラームとは何か
最も広く定義するなら、イスラームとは、「アッラーが唯一の創造主であり、ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)がアッラーによって遣わされた預言者である」という信仰を持つ人々の信じる宗教の名称です。イスラーム教徒を、アラビア語で「ムスリム(Muslim)」、トルコ語やペルシャ語では「ムスルマン(Müslüman)」といいます。その聖典は、アッラーによって預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)に啓示という形で下されたクルアーンです。
イスラームの語義
イスラームの言葉本来の意味は「平和」もしくは「服従」です。両方の意味とも、イスラームの教え全体に影響を及ぼしています。 「平和」という意味を取り上げるなら、イスラームは、人間の自らに関わるあらゆるつながりにおいて平和と安定を目標とします。この観点から、イスラームは単に信仰と崇拝行為によって捉えられる教えではなく、それ全体が一つの生きるシステムとして、すなわち生活として現れているのです。 「服従」という意味は、イスラーム教徒が信仰生活においてアッラーのご命令に完全に従うことに関連します。すなわち、イスラーム教徒の信仰と崇拝行為において、アッラー以外の何ものをも介在できないということです。 この二つの意味は、一つのメダルの裏表のようなものです。もしアッラーに服従すれば、幸福と平安を手にするでしょう。言い換えれば、本当の幸福と平安を求めるなら、アッラーに服従しなければなりません。 イスラームという言葉には、さらに狭義的な意味も含まれています。イスラーム教徒によって信仰されている見解によるなら、イスラームは全ての教えの源です。この信仰の本髄は、クルアーンにおける「本当にアッラーの御許の教えは、イスラームである」(イムラーン家章 第3章19節)という句です。これによれば、アッラーによって下されたと信じられているユダヤ教、キリスト教、そしてその他の教えは、アッラーの御許にある「イスラーム」の一つの側面を体現するものとして下されたのです。時間の経過と共に人々は、これらの教えに対し何かを加えたり、何かを取り除いたり、変質させたりすることによってその本髄を壊してしまったのです。最後に下された教えであるイスラームは、アッラーの御許における「イスラーム」の完全形であり、アッラーはこの教えを世界の終わりまで守られることを約束されました。事実イスラームは、その始まりから14世紀という時間が経過したのにも関わらず、聖典においても信仰のあり方においても、そして崇拝行為においても何も変化していません。この不変さは、非常に広範囲にわたるイスラーム社会においても目をひくものです。どのイスラーム国家に行ったとしても、イスラーム教徒の信仰生活において、そこの単一性、不変さを目にすることができます。
日本における「イスラーム」を示す用語の多様性
日本語では、イスラームに関して使用される表現が実に多様です。「イスラーム教」という表現は、しばしば用いられる名称です。この用語は、「キリスト教」「仏教」という使い方をもとに、「イスラーム」という言葉の最後に「-教」という語をつけ加えることによって形成された言葉です。しかし「イスラーム」は、「仏」あるいは「キリスト」といった歴史上の人物の名称ではありません。イスラームという語は、アッラーによってクルアーンにおいて定められた名称です。従ってイスラームは、誰かの教えではなく、この言葉の後に「-教」という語を加える必要はないのです。もし誰かが教えたものという意味を表現したいのであれば、「アッラー教」もしくは「ムハンマド教」という形での表現が適切でしょう。しかしこの二つはどちらも、それ自体では「イスラーム」が持つ意味にはなりません。本来、この二つに相当するものは、別の名称でイスラームにそれぞれ存在します。「アッラーの教え」は、アッラーのお言葉である「クルアーン」です。「ムハンマドの教え」は、そのお方の言葉、行動がまとめられた「ハディース」というものに該当します。イスラームは、アッラーの教えであるクルアーンと預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)の言行の集大成であるハディースを含んだ、包括的な表現なのです。
取り上げられるべきもう一つの表現は、「ムハンマド教(正確にはマホメット教)」というものです。明治時代以降の文献においてみられるこの表現は、欧米諸における「マホメダンMahomet」という言葉の訳語でしょう。本来この表現は、キリスト教世界での「イスラームはキリスト教の異端であり、その創設者がムハンマドなのだ」という見方によるものです。キリスト教世界では長い間、イスラームをアッラーによって下された教えと認められず、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)の預言者性とクルアーンのアッラーの言葉としての正当性が否認されていました。そのような認識による「ムハンマダン」は、1960年代にヴァチカンが「イスラーム」という言葉を宗教の名称として使用し始めるまで用いられました。そのため、翻訳によって日本語に入ってきた「ムハンマド教」という表現も一つの誤った使い方なのです。
戦中期の日本の文献でしばしば見受けられる「回教」という表現があります。この表現はもともと、中国語から日本語に入ってきたものです。筆者が質問をした中国人イスラーム教徒が教えてくれたところによると、「タワーフ(カーバ神殿を周回すること)をする人々の教え」という意味であり、イスラーム教徒がカーバ神殿の周囲を回ることから発想されたものだということです。しかし、これも、イスラームの五行の一つである巡礼を行った巡礼者(ハーッジュHajj)の意味になり、イスラームほど包括できてはいないのです。 「イスラーム」という語の日本語における多様性の一つであり、最も重要でないと見なしているものは、「イスラーム」と伸ばして書かれるか、伸ばさずに「イスラム」とするかという項目です。重要ではないという理由は、意味という観点から何の支障ももたらしていないことです。なぜなら、トルコ語では伸ばさずに書かれ、発音されるからです。しかしアラビア語の原語により近くなるようにと望むのであれば伸ばして書くこともできます。ただ、そうしたとしても完全にもとの形で表現されることにはなりません。なぜなら、RAという音節は、ローマ字におけるLA という語の日本語への音訳のようなものだからです。つまり、日本語にはLの音がなく、その代わりにRが用いられているのです。伸ばして書かれたとしても、イスラームという語が完全に日本語に移されたことにはならないのです。だから、広く用いられている伸ばさない読み方に加え、伸ばす読み方を加えることはただ煩雑さをもたらすものとなるでしょう。
イスラームの教え
イスラームの基本的な教えは、四つの言葉でまとめることができます。 最初の言葉は「一性(タウヒード,アラビア語ではtawhid)」です。タウヒードは、イスラームの信仰の基盤であると言えます。言葉としての意味は「一つであること、単一であること」ですが、ここでの用語としての意味はアッラーを唯一の神、唯一の創造主と認め、そのお方以外には何ものをも神としないことです。イスラームのこの特質は信仰や崇拝行為においてもその存在を示しています。例えば、唯一の聖典。イスラーム教徒は、アッラーによって下された新約聖書、旧約聖書といった他の啓典の存在も信じています。唯一のという意味はこの点とは関係ないものです。唯一の聖典が意味するものは、今日イスラーム世界のどこに行ったとしても、クルアーンは全く一文字も違わず全て同じであるという点です。言葉や民族が何であれ、全てのイスラーム教徒はアラビア語であるこの書を信じているのです。 もう一つのタウヒードの例は、崇拝行為を行う際、その向かう方向がマッカにおけるカーバ聖殿の方角であることです。世界のどこにいたとしても、どのようなイスラーム教徒でも、崇拝行為を行う際には顔をこの方角に向け、それを行なうのです。 二つめの言葉は「復活」です。イスラームの教えの最も基本的な概念の一つである復活への信仰によれば、生命を持つあらゆるものは死後、復活させられるのです。人間は生涯を通して行なった良い事柄、悪い事柄の対価を死後得るのだ、ということを信じます。この復活は、世界と生命の終焉の後で実現します。生命を持つ全ての存在は復活し、一箇所に集められ、尋問やはかりにかけられます。皆、奪われた権利を取り戻し、あるいは人から奪った権利の報いを受けます。 三つめの言葉は「預言者性」です。イスラーム固有の特質であるこの信仰によるなら、アッラーはその教えを人々に到達させるため、人々の中から一人、あるいは複数を預言者として選ばれます。その教えは、預言者に天使たちを媒介として啓示として届けられます。預言者もその知識を人々に教えます。人類の歴史を通し、多くの預言者がもたらされてきました。それぞれの民族、それぞれの地域に預言者が遣わされたことが信じられています。この預言者は、自らが含まれている集団の中から選ばれます。そして人々の言葉を用いて、アッラーの教えを伝えます。この信仰によれば、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)、ムーサー(モーゼ)(彼の上に平安がありますように)、そしてキリスト教では神と見なされているイーサー(イエス)(彼の上に平安がありますように)も預言者なのです。
四つめの言葉は「公正さ」です。この概念は、イスラームが国政を統治している、あるいはイスラーム教徒が統治者の立場にいる時、実行されなければならない行動形式です。イスラームは公正さに反する何らかの誤り、あるいは不正を目にした際にはそれを正すために努力することを命じています。この努力は個人的な反応でもあり得るのと同様に、組織的な態度でもあり得ます。これら全ての項目が取り上げられ、研究されている学問分野もあります。イスラーム法学と呼ばれるこの分野の法規は、クルアーンと預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)の言葉や振舞い、それらの解釈によって手にされるものです。これらの法規の中には、遺産関係の定めから動物の権利に至るまで、広い範囲にわたった詳細な言及が存在します。公正さの確立や保護もまた、それぞれの個人や国家の最も基本的な務めの一つとして定められています。
イスラームのほかの宗教との比較
イスラームは、ここまでで述べた知識を含めて表現するなら、他の教えに似た側面も、異なる側面も持っています。唯一神信仰の教えであり、啓示をもとにした聖典を持つという側面においてはキリスト教やユダヤ教との類似性を示しています。しかし、世界宗教であるという点で、ユダヤ民族のための民族的教えであるユダヤ教とは異なります。多神教であり、偶像崇拝を行なう教えである仏教とも、唯一神信仰であり偶像崇拝を禁じているという点で、また、日本民族の教えであると表現される神道とは、唯一神信仰であり世界宗教であるという点で異なるといえるでしょう。
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