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預言者ムハンマド
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預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)


 預言者とは、神の言葉を預かって人間に伝えるために、神によって人間の間から選ばれた特別な人のことであり、神でもなく、天使でもありません。人類が地球上に登場した全ての時代において、各民族と地域に遣わされていたとクルアーンにおいて記されています。その役目は、神と人間の間を仲介することであり、神の言葉(啓示「wahy」)を預かり、現地の言語で人々に、自らも実行しつつ、伝達することです。預言者の人数については確かな数字がありません。クルアーンの中では25人の名前が挙げられています。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)から伝承された言葉によれば、人類史上、124,000人(一説によれば224,000人)の預言者が送られています。

 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)も、アッラーによって送られた使徒の一人です。彼の預言者性の特徴の一つは、最後の預言者であって、世界の崩壊まで預言者性が継続されるということです。彼以外の預言者たちの場合、任務範囲は送られたその地域の人々に限られており、その期間は預言者の生きる期間でした。預言者の教えが忘れられ、あるいは後の人々によって歪曲された場合、別の預言者が送られていました。その正統性や信憑性はアッラーによって保障されています。もう一つの特徴は、彼の教えの正統性と信憑性が保障されているということです。クルアーンの章句によれば、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)を通して送られた最後で最良の教えであるイスラームは、世界の終末まで、その教えの内容が変更されることなく持続することがアッラーによって保障されています。

預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)の生涯(571-632)


 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)は、アラビア半島の重要な都市の一つであるマッカにおいて571年頃に生まれています。マッカは岩山で農業が行えない地域でしたが、カアバ神殿があり宗教的中心地であったため、アラビア半島から訪れる多くの巡礼者によってにぎわっており、商業が盛んな都市でした。当時の人々が参拝のために訪れていたカアバ神殿は、イスラーム以前も存在しており、地上最初の礼拝の場とされています。預言者アーダム(旧約聖書のアダム)によって初めて建立されていますが、預言者イブラーヒーム(旧約聖書の部族長のアブラハム)とその息子によって再建される時までその場所が忘れられていました。現在の場所は、預言者イブラーヒームと息子のイスマーイールによって発見された場所ですが、その後は、数回修復が行われています。
 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)の生涯を、次のように時代区分にすることができます。
 1.預言者になる以前(571年~610年)
 2.預言者になった後(預言者としての生涯)
   a. マッカ時代(610年~622年)
   b. マディーナ時代(622年~632年)

1.預言者になる以前(ジャーヒリーヤ時代):


 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)が預言者になる前の時代は、「ジャーヒリーヤ(無知・無明の)時代」と呼ばれています。宗教としては、偶像崇拝と多神教の信仰が盛んでした。人々は、部族主義に基づく社会において生活しており、部族のプライドを守ることが重要でした。女性は、市場で売られるものとして扱われており、女の子を恥と思う習慣がありました。その恥から逃れるために、女の子を生き埋めする慣習までありました。そのような残酷な社会であったため、後に、その時代を生きてきてイスラームに入信した当時のイスラーム教徒たちによって、「無明の時代」として呼ばれました。

 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)の預言者以前の生涯の重要な出来事の年表は以下のようです。

571年頃:生誕、クライシュ族の支族ハーシム家の一員として誕生(父は誕生前に死亡)
576年:母没、祖父が養育
578年:祖父没、叔父アブー・ターリブが養育
583年:第一のキャラバン貿易への参加(キリスト教徒の修道士バヒーラとの対面)
591年:クライシュ族の「フッジャールの闘い」への参加、「有徳者同盟」への参加
595年:女性商人ハディージャのキャラバンへの参加
596年:ハディージャ(40歳)と結婚
597年~608年:子供に恵まれる(4人の娘:ザイナブ、ルカイヤ、ウンム・クルスーム、ファーティマ、2人[または3人]の男の子。末娘ファーティマ以外の子供は皆夭折)
608年:カアバ神殿の建て替え(アミーン「正直者」というあだ名、黒石はめ込み解決)

2.預言者になった後(預言者としての生涯)


 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)が預言者としての務めをアッラーに与えられたのは610年です。マッカ郊外にあるヒラー山の洞窟で最初の啓示を受け、40歳で預言者になります。彼(彼の上に祝福と平安がありますように)の預言者としての人生は、「マッカ時代」と「マディーナ時代」としてさらに二つに区分されています。その境になる出来事は、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)と一部の教友と共に、12年間の迫害と弾圧を逃れるため、622年になされたマディーナへの移住です。マディーナは、マッカのようにアラビア半島のもう一つの重要な都市です。マッカと違って、農業が盛んな町であったナの住民の宗教は、多神教徒・一神教のユダヤ教でした。もう一つの特徴としては、部族同士の間で長年続いて内紛に苦しんでいたことです。

 a.マッカ時代は、610年から622年迄の12年間です。これは、さらに、布教が非公然であったか、公然となされていたかという点で再区分されることもあります。非公然の布教期というのは、イスラームの布教がだれを対象にするということによります。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)は、預言者になった最初の頃は、身内のみにイスラームのことを話していました。事実、最初の入信者も、妻のハディージャ、親友のアブー・バクル、従兄弟のアリー、解放奴隷のザイド・イブン・ハーリサ等のような身内の人々でした。613年以降、マディーナへの移住までの期間は、布教が公然と行なわれていた時期です。この期間の特徴としては、イスラームの教えを耳にして反発した多神教徒との対立と、彼らによるイスラーム教徒への迫害などがあります。当時の社会的の下層にあった弱者を狙っていたその迫害で、初の殉教者も出ました。

 以下は、マッカ時代とマディーナ時代の重要な出来事の年表です。
マッカ時代:
615年:第一次移住(エチオピア移住)(キリスト教徒のエチオピア王の入信)
616年~619年:ボイコットと「悲しみの年」:最愛の妻ハディージャと叔父かつ保護者のアブー・ターリブの相次ぐ死亡
620年:ターイフへの旅:(新天地として期待されたが、住民のサキーフ族の嘲笑と子供たちの石投げという結果で期待が裏切られた→預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)の慈悲)
620年:昇天の旅(イスラー[夜の旅]とミウラージュ[昇天]):マッカからエルサレムまでの夜の旅、エルサレムから昇天(諸預言者たちとの対面、神との合一)、マッカへの帰還。悲しみの年とターイフでの迫害に対する神からの慰めと励ましとして
620年:第一のアカバの誓い:マディーナ出身の12人の信徒との密かな誓い
621年:第二のアカバの誓い:70人の信徒による完全保護の誓い、マディーナへの招待を受ける
622年:第二次移住(マディーナへの移住)、イスラームの最初のモスクをクバーに建設・金曜日礼拝の義務化。後にイスラーム暦(ヒジュラ暦)の元年と決められる

b. マディーナ時代(622年~632年)
622年~624年:ムスリム共同体「ウンマ」の確立・ムアーハー(義兄弟)の確立
624年:バドルの戦い:大勝利、最大の敵アブー・ジャフルが戦死
625年:ウフドの戦い:結果的に引き分け、叔父のハムザ殉教
627年:の戦い(627年):防衛戦争、マッカ側の撤退
・マッカ側が攻め、マディーナ側は守勢だったが、これ以降は、預言者側が攻勢
・各戦いの後に、マディーナに住んでいたユダヤ教徒部族が、次々マディーナから追放される(バドルの戦い後にカイヌカー族、ウフドの戦い後にナディール族、塹壕の戦い後にクライザ族。それらの部族は、預言者の移住後、マディーナにおいて建てられた都市国家の同盟者でしたが、建国の合意書において約束されたことを破ったことに対する処分として追放されたと記録されている。その裁判は、イスラーム法ではなく、彼らが信じるユダヤ教の宗教法に基づいて行われたという)
628年:小巡礼:マッカ側の軍勢によって妨害され、大巡礼は実現されなかった
628年:フダイビーヤ和約(10年間の休戦、翌年巡礼可能、同盟の自由、許可なくマディーナに来た者を送還する義務、マッカ側には送還する義務はない等の条約)、結果的に、マッカの征服を可能にした。
630年:マッカ征服
632年:別れの巡礼:最後で唯一の巡礼、この巡礼中に10万人の教友を前に「別れの説教」
632年:死没。最愛の妻アーイシャの部屋で没し、同じ場所に埋葬された