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ジャラール・ウッディーン・ルーミー
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イスラムの神学者。スーフィズムの重要な人物のひとり。

1207年にホラーサーン地方の主要都市の一つバルフ(現アフガニスタン)において高名な説教師でもあった神学者バハーウッディーン・ムハンマド・ワラドの息子として生まれた。1219年頃にモンゴル帝国のホラズム・シャー朝遠征にともない、家族とともに戦火を避けて郷里のバルフを去り西方へ移住した。10年の流浪の末、ルーム・セルジューク朝治下にあったアナトリア(ルーム地方)中南部の都市コンヤに定住し、ルーム地方にちなみルーミーと号した。父バハーウッディーン亡き後、その高弟の指導によりスーフィーの修行を始めたと言う。その後シリア(シャーム地方)やメッカへ巡礼と留学の旅に出て、アレッポ、ダマスクスでイスラーム神学(カラーム)やハナフィー派法学を修め、父の後継として自らも説教師の仕事に就いた。

1244年頃、コンヤを訪れた放浪のスーフィー修行者シャムスッディーン・タブリーズィー(シャムセ・タブリーズ)と出会うと、彼の感化を受けてそれまでの形式的説教や生活態度を破棄し、彼を師匠と仰いでスーフィーの修行者として一生を捧げる事を誓ったという。シャムセ・タブリーズに神の愛の具現像を見い出し、これ以降師に日夜仕えながらサマーウ(アッラーフの神名を唱えつつ音楽や踊りを通じて忘我・陶酔境に至るスーフィーの修行法のひとつ)などに日夜没頭した。この時代にシャムセ・タブリーズによって詩的才能の開眼を受け、シャムセ・タブリースが突如失踪した後までに神秘主義的熱情から多くの抒情詩群を生み出した。この時の詩を編纂したものがルーミーの初期の作品『シャムセ・タブリーズ詩集』になる。


1261年(一説には1259年)に愛弟子フサームッディーンの懇願によって神秘主義詩の傑作となる『精神的マスナヴィー』(Mathnawī-yi Ma'nawī)の執筆が始まる。これは、自我の滅却によって人間存在を本源的真理へ帰還させることを唱った作品冒頭に掲げられる18句を主題として展開された全6巻、約2万5000句におよぶ長大なマスナヴィー形式の叙事詩である。

ルーミーの他の作品としては、散文作品に『ルーミー語録』、『七説話』がある。この『精神的マスナヴィー』は「ペルシア語のクルアーン」と呼ばれるほど後世に絶大な影響を与えている。

1273年にコンヤ(アナトリア、トルコ)で没する。

メヴラナは尊称。ルーミーとはローマの人のことで、後年に住んだアナトリアが以前東ローマ帝国(アラビア語ではルーム)の領土だったことによる。1273年ルーミーの没後、コンヤの墓廟を拠点としてかれの弟子によってコマのように回って踊るサマーウ(セマ)という儀式で有名なメヴレヴィー教団が形成された。主な著書はペルシャ語の詩集『精神的マスナヴィー』(Masnavī-ye Ma'navī)。